CAFE DE MOCHAI

チャイ専門カフェ 創業24年目

ヒマラヤと自然全般とアートと音楽が好き
週末土日の夜のみで完全予約制

チャイしかありません。

お料理はリピーター様に限り19時限定ご用意。


エラー防止のためご予約はツイッターのDMのみで統一しております。

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本当に欲するものはなにか?

中学生の頃 親の小言に辟易して自宅にいたくなくて日中はほとんど十勝川の河原ですごした。学校の勉強や油絵の道具や画材と釣具をもって河原で陽が沈むまですごした。釣り糸を垂らしながら 課題や予習、絵を描いたりして過ごしてたそして釣りをしてるとクラスで漏らすと 数人釣り好きカミングアウトで一緒に川まで行って おのおのの釣りポイントに分かれて また日が沈む頃集まって一緒に帰るなんていう距離感のある仲良い友人たちができた。である日 釣りは好きじゃないけど川でよくトランペット練習してるというやつが私についてきた。 釣り糸を垂らす横でトランペットを吹きやがって魚が逃げるだろ!と言うと魚 そんなに釣れるのか??と返されそういえば 魚が釣れる事に固執していないと自覚する。そうただこの場所にいる名分のために釣り糸を垂らしてるのだそっか自分は魚が釣りたいわけじゃないんだ。。。と自覚してそこから すぐさま釣り針に餌をつけないでホオリ投げた。どうせ横でトランペット吹かれるし でこれまでも 最初の一発目だけ餌をつけてあとは数時間放置帰り間際 糸をひきあげて餌がなければ 取られたか!と納得して終了だったのだが釣る目的がなきゃ餌をつけないでもよいってなって そういう釣りを始めた。これが 意外とわくわくした。 餌つけていないのに釣れた想像だけでわくわくできるしつれなくても あたりまえで心がよりいっそう軽くなった。でも この想像遊びもすぐ飽きたので 次に 針もつけずに錘だけ糸にむすんで投げ入れた。これも2回目くらいまでは どきどきできた。そして これにも飽きると 糸もつけず ただ川べりに釣り竿だけ立てた。この領域になって 生きるとは?から始まり いろいろ哲学的な事考え始め釣り友達からは 「なにやってるの??」とすごく 不思議がられたけど要約し説明をした。 理解はされなかったそんな14歳でした

プロといっても

““あるインタビューで「アーティストとクリエイターの違い」を聞かれたので、さすがに今はアレだけど、仮に一年前に「一億円の予算で、原発は安全である。って映像作って」と頼まれたら平気で作っちゃってる。それがボクたちクリエイターです。と答えたら、見事にばっさりカットでした。” - Twitter / 片岡K (via igi)”よく人に求められたものを上手に作るのがプロだ!というけどもそれも モンスター客の要望でもはいはい聞く どんな客でもお客様は神様ですと一緒で自分は昔から 客の言いなりじゃないものでも喜ばせてこそだ!と思っていたのだけど、それだとやっぱりアート思考に半身落としてるようなものなのかもねえとクリエーターの答えを見て思った。でも じゃあ クリエイトする人としての名称にやや名称に違和感はあるねぎりぎりの納期の要望に めちゃくちゃにはいはい言いなりなんだから夏休み終わりの子供の課題の手伝いするパパママみたいなものそんなものクリエイターって言葉にあてはまらないよね モーチャイでは 基本 求められた食材や料理を客に選ばせて出す方式ではなくシェフが その日の予約客の顔ぶれを見て この人たちに食べさせたい味あわせたいものをつくり出す。というスタイルでやってきてる 料理ショーのようなものなのでまいかい どぎまぎしつつ よろこばれる顔を想像して準備する。けっこう自分をおいつめている感はある

仕組みは謎

どういう理由か仕組みなのかわからないけど、電話で相手の見たものが高い解像度で見えちゃうMという人がいて。なんども 電話越しで相手の見たもの 今見えてるものがダイレクトに自分の頭の中で映像化されて、 確認のために尋ねると正解だった事があった。これはそんな状態が日常化して当然な状態となってしまったある日の電話での会話の実話東京に住んでた頃 ある日電話がかかってきて出た私「もしもし、おう 久しぶり どうした?」M「あのね 私 引っ越ししたから ご報告をと」私「ははは どこに住もうが。。。ん??? あれ? 今へんな映像が。。。」M「なにがみえる?」私「今 玄関に黒い大きなゴミ袋おいてる??」M「そうだよねえ、あるよねえ。。。」私「ちょっとまて! 実際にはおいてないの?ゴミ袋??」M「おいていない。。でも 部屋を暗くする見える」私「あんた!何条何丁目に引っ越ししたのさ?」M「南6条西・・・・・」私「家賃いくら???」M「18000円。。。安すぎるから へんだな。。とおもって」私「。。。。。。。。。。。。知ってる 数年前そこらあたりで ばらばら殺人事件があった 遺体をゴミ袋にいれて投棄された事件。。。その部屋が現場だ!!いま その時の様子が その部屋で再現されてうちら見せられてる!はやく引越しろ!!」M「わかった。。。」私「なんで あんたは勘も働くのに そういうぽんすけやらかすの??なぞだわ」M「内覧 昼間にした。。。」私「日中にしたって そんなもん3秒で解れよ!」という顛末

専門店の意義

ちゃいの専門店と謳ってると いろんなちゃいがメニューにあると思われてメニューに一品しかないと「これだけ?」と 返してこられるけどもなんのジャンルにおいても プロショップというものの考え方はこうです例えば ノコギリ専門店というものがあって 素人が入ったら普通に使いやすい一般的なものしか出してこないものである。それが 当店のスペシャルチャイが それに相当するしかし ノコギリ専門店に林業関係の人が来店したら、対応は変わります奥にとおされ あれこれ用途別に対応するものを会話によって出してきます。専門店に入るならばその力量を推し量るには 客自体も専門知識や経験があるうえでそういう人にも対応できるということでの プロショップ 専門店というのが世の習わしなので 大型店みたいに無駄に種類多くばらばらとは出していないものですなので まずは一品だけ スペシャルチャイだけしか明記していない。ちまたによくある ちゃいのお店 いろいろメニューあるっていったってクローブだけつかったクローブちゃい シナモンだけつかったシナモンちゃいって感じで ぱらぱらとスパイス一種だけつかったものでメニューの水増しをしているだけの話で それをいろいろあると思わせてるだけのまやかし的バラエティー構築です。なので うちは通ってこられてるうちに どんどんその人にだけ合う味やあらたな飲み方などを会話しつつ提案し ちゃいの調整をして行ってるので飽きる飽きないの次元や心配は御無用です。チャイのビギナーのかたも 通ううちにチャイを知れていく勉強していける場所の提供でもあります。知見を得たいなら まずはあなたの知見や経験を投げかけてください。そのうえで ああでもない こうでもない と悩みだす店主のこだわりが発動します。

毎週月曜日は全身筋肉痛で撃沈

料理の目覚め

料理に目覚めた年齢によって 作りがちな献立や料理知能の限界というものがある。まあ自分のかぎられた人間関係の中での観察でしかないけど7~10男子女子 家のお手伝いで目覚める料理上手に育つ温床10~15女子 クッキーで目覚める。まあ この始まりだと料理上手になった人をあんまり見たことがないわりとお菓子しか作れないような人が多かった。16~17女子でお弁当つくりで目覚めるいたって普通。 ここからもそんな成長した人を見たことがない18~24男子 目覚める一人暮らしを始め料理に目覚める、まあ最初はクレイジーソルトつかったら格段にうまくなった!くらいの驚きから スパイスやハーブ知識をかき集めるようになり生来のマニアック精神があれば そこそこのカレーとか作り出す場合も時たま見受けられる18~23女子 目覚めるお弁当女子からちょっと成長して お惣菜など料理本みながら研究しだし気合いれるほどの 酢の物が増えていくという現象がたびたび見られる。若い女性の料理研究家とか言い出す人は だいたい 全体的にむりやり野菜で酢の物のフルコースとかなりがちだが 見栄え重視でそんなに火を使っていないタッパで冷蔵庫保管アイテムだらけな感じも否めない。いわゆる ちょいおしゃれに見えるカフェランチみたいなメニューなあれでデコレーション的であるだけで 味は凡庸って場合も多々あるけど自分で料理するってだけでも 十分な生活力の魅力はある。24~35 男女 目覚めここらの年齢から 仕事としての技術として興味や必要に迫られ または主婦となり極めるなど料理に目覚め方と 根本のモチベーションが様々な要因が出てくる。料理のプロフェッショナルにつきすすむか 凡庸な日々のルーチンのなかでのわずかな華として料理に向き合うか 変わってくる。逆に25まで まともな料理、お味噌汁ひとつ考えて作ったことがない人は9割 一生料理下手人間の道に突き進むことになり。 そんな人が 母になったりするとその子どもまで食べ物に興味希薄に育っていく35~49 男女プロにすすんでも 成長に陰りが出る人は理解しだす。 子供のころから料理してたやつには叶わないと。味覚の敏感だった子供時代に味について考えだした人と 成人以後に料理しだした人とではもともとの素養が素質が違うと感じだす。 なんのジャンルでも子供の時から発動し継続させた感性にはそうそう追いつき追い越す事はむずかしい。これを知るにも あるていど高い技術と感性を磨き上げられないと無理なのだけど、 息も絶え絶え成長した人は そこで絶望感を味わいがちだけど そこからが本気のスタート地点家庭料理に全振りした女性は ゆるやかに子供の味覚とともに成長をそれでもし続けていくか ただルーチンでもくもくつくるかの二択50~60 男女いろんな理由で 仕方がなく料理をしなきゃいけない的環境で目覚めた人は時間と財力で食べ歩いたりもしだすけども それも遅いスタートなので すぐ世界の美味の限界を知るまでもなく なんとなくな駄食に戻ったりもする。ちょっと老後を見据えて そば打ち教室に通い出すのもこの年齢家族にちょっとおだてられて 退職後蕎麦屋を始めるのも典型パターンいきなり 食でひとを喜ばす楽しみにも目覚め それを欲しだすのだろうけど特撮番組みてヒーローになりたい!って言い出す 子どもと何ら変わらない70~ 男女とにかく味よりも 減塩 ローカロリー 食への渇望もかなり低く忘れ去りここから食に目覚めるなんて ほぼ見たことがない。目から空を眺めて 青い色から栄養をとるってほうに切り替わる感じ

カカオ農園の子みたい

よくカカオ農園の子はチョコレートを食べたことがない。みたいな言われ方で産出国を憐れむ話がありますが北海道は 海産や農産物の芳醇さで 大した料理をせずともそこそこ美味しいのでそのレベルで大衆から料理人まで満足してしまって終了という料理ジャンルがいっぱいあるしかし凝った料理は ある種の厚化粧と同じ意味もあったりで本当によい食材に その化粧が有効なのか?というところが多大にありますが技術として持っていると もっていないとでは いろいろダイナミックレンジが変わってくるので 持ってるほうが良いでしょう北海道にも有名高級店の進出でいくつかありますが、味の真価を問えるほどのスターシェフは 本店の創業者くらいで その下についたましなひとが 支店を任されるはこびになる。 そして 店の看板を盾に展開していくのだけど高いから美味しいという自己暗示にかかる人ばかりではない北海道なんてとくに。 手をくわえなくてもすこぶるおいしい感動はそこらで得られるそれに対抗できる厚化粧で どれだけ感動させられるものか?ってところなんです。なので モーチャイの料理では 世間の高級料理店ではこんな調理技術をしているを検証しつかえるものは使って調理し、 カカオ農園(北海道)の子にも 料亭クラスや エポックメイキングな最終的な料理の味を味あわせてあげるくらいのものを こんな値段では世間では味わいないものを出したりしているいうなれば 世間のその次元の料理店への価格破壊も仕掛けてるようなものなので世間に勝負する!みたいなものではなく ひっそりとうちうちのひと たまたま当店を気にしてつながってきてくれた人にむけて料理提供するなので来店のしやすさ間口とハードルをちょいとしめあげて理解いただける方と料理を楽しんでいけるように 完全予約リピーター限定制にしている。