CAFE DE MOCHAI

チャイ専門カフェ 創業24年目

ヒマラヤと自然全般とアートと音楽が好き
週末土日の夜のみで完全予約制

チャイしかありません。

お料理はリピーター様に限り19時限定ご用意。


エラー防止のためご予約はツイッターのDMのみで統一しております。

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呼応

生物は他の仲間に何かしらの合図や意思表示を伝えるために 声を出すということをする。でも鳥は種類によって 単純に面白いからで音の反響残響を楽しんだりする行動もよく見受けられる。人もだれかに聴かすためではなく ただ自分から発する音や声が楽しいから遊ぶ感性で楽しめる人はたくさんいる。逆に上手くなくてもだれかに聞かせたい故に集まりカラオケを楽しむという集団も結構数いる。料理なんかも まずは作る事自体に興味をもちはじめそれらがひとつひとつだれかに美味しいと言ってもらって人前に料理を出すようになっていくそうなってしまうと 食べる人が有りきで料理を作るが絶対になるのだがときおりいる 一人で自宅や 一人車中泊の旅でアウトドアでしょっちゅう調理をする人を見てその人達は 料理に呼応する第三者がいなくても存分に料理を楽しんでいるとわかると食べる人がいないと料理する気がおきないって たんなるさびしんぼうじゃないか!と自分に思うのであった。究極のちからワザを持つ飲食店は 「いやああ 今日は水しかないんだわ のんびりしていって」で閉店まで人がいてこそだ!と あほな見解が浮かんでくるがそういうアンチテーゼだけで中身のない現代アートに関しては自分は否定派なので、やらないよ。

品と味

ちょいちょい自分でも 料理の味わいに 品がある、品がないという言葉で表現したりする。調べると「品がある」とは、優雅で洗練された雰囲気や、上品で落ち着いた印象を指す言葉です。人や物に対して使われ、内面の成熟度が外見や態度に表れている状態を表します。具体的には、言葉遣いや立ち居振る舞い、身だしなみなどが洗練されている様子を指します。といわれてるが 優雅や洗練も 上品で落ち着いたも 美しいが条件でその美も突き詰めると 短絡的な派手さとはきちがえてたりもして品というのもあやしいものばかりだが 突き詰めると 日本の場合だと なんだかんだいって禅の領域にたどり着く傾向が強いおいしい湧き水を飲む行為で例えると湧き水をポリタンクで運んでコーヒー、紅茶を淹れる 下品安全な湧き水を沸かして飲む            野暮湧き水を銅の柄杓で飲む          お上品湧き水を器を使わず 手ですくって飲む 禅の域やったら台無しにするのが 下品と野暮の真骨頂でそのものを活かすがお上品で なにも邪魔することなくが本質を見据えて対峙する禅につながるで 世間の料理というものには この下品と野暮がいつでも出動する気まんまんでしかもそれを 普通と思ってしまってる次元の思考が蔓延してたりする。料理人で味覚にいつも気をめぐらせているならなにもせず 手ですくって飲んで旨いと言えないと湧き水のわく場所に行く 意味すらない手を加えることだけが 全てじゃないということをわかったうえで作ることの意義を考えることがアートの品かなほんと良い水を味わうなら 水は水として味わうのが一番で澄んだ水にドロをちょっとでも加えたらもうそれはドロ水でしかないのと同じで、 おいしい水を活かすとしたら 飲む側の人間の帯電性をちょっと下げ味覚の負荷を一瞬でも下げるために銅の柄杓を使って飲みなよ と今まで言ってきてた。せめて野暮でも下品でもならない 凡どまりな名水の使い方は日本人なら お米を炊くかな(笑)昔 京極に住んでる なんもない街だっていうひとに返した言葉「京極の水で風呂入って 京極の水でトイレ流す、茶碗洗う!なんて 贅沢な町民だ!!」ちなみに 恵庭市民は いろはすの水で風呂入って~~

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和食だ イタリアンだ フレンチだ エスニックだ スパイスだといっても全部同じ料理だというのにいろいろ作れるの?ってなったり絵だ音楽だ造形だ と全部形に具現化するだけのことをマルチな才能とか言ったり全部 考える。という一つの頭の仕事であるだけで多岐にわたる才能の多岐なんて言葉は蛇足でしかないあれこれ表現手法の違うことを楽しんでいる人なら誰でも自覚しているそのなかでも得意不得意なものレオナルドダヴィンチが手を描くのが苦手で意識するあまりバランス的に手が大きくなりデッサンが狂うみたいにだれしも その頭で考えても捉えきれない部分はなんだかんだあり最終的には それを個性とうそぶいて 他の技術でカバーしてやりにげる。で気づくのが 人がなにをどう考え作ろうが 自然にはかなわない。という到達点そこにいきついて 一番先に落胆するのは 音楽やアートで最後に料理となる。自然にあるものに味をつけるって自然の生き物としてありえない所業がはたして本当に必要な事なのか?という蛇足かもしれない葛藤ダヴィンチも多くの食に関する文献やレシピが残されてるが時代を考証しても かなりぼんくらな思考がその文献から見受けられる死んで時間がたつほどに神聖化される ましてやその肉筆の絵や彫刻だったり楽曲が伝え続けられてしまうと、無限に評価の下がらない巨匠となるばかりアルタイルの壁画やあちこちの壁画の落書きにも 作者の名前が記されてればそいつらが ピカソやラファエロをも超えるアーティストとして世界史に残ったもの駄作だろうと作品と名が後世に残れば巨匠への道作品にタグは大事ね

SP献立の頻度

以前は 半年に1度あるかどうかの スペシャル献立デイここ数年は 月1に近い頻度。。年末年始あたりだと 月2,3も珍しくなくなってきて、それに伴い 手のこんだ料理をする回数も増え手の込んだことをすれば おのずと 絶対このほうが美味しい!となり通常時にやってた調理方法の見直しとなり、一皿千円ちょいの通常メニューの調理手数までがどんどん混みいり、準備時間もじりじり長くなりつつ毎回労力と技術の安売りと言われる問題も慢性化してきた。なんども状況をかえりみて 自分の心の整理をすると美味しいものを作りたい ◯考えるのが好き手間がかかる事は嫌ではない ◯思いつくと楽しい利益がちいさい問題   △あまり考えたくない時間が取られるのは嫌 ◯義務的強制感は嫌人に喜んでもらいたい △相手によるかなあざっくり こんなとこで、なんどもなんどもたちもどるのが特別献立なんでやってるの??というところで ここの答えは大きな理由は一つある。特別メニュー時に予算があるので 通常さわれない高級食材を扱うことが出来る。それの味を知ることと 調理実践出来る。知識として新しい事に出会える可能性と技術向上の利点加えて自分だけじゃなく 食べた人にも味の経験値を共有出来。そんなところです基本6人くらい集まって開催。人数と値段はそのときの食の方向性によって要相談  営業日以外は+割増

はいりにくいお店

黒曜石探しに道東に向かい その帰りに小さな町でランチ出来る店を探すかんばんが 入口に小さなサイン電灯があるのみで 入口はドアだけお店とわかる雰囲気もない。うちと同じ ちょっと気難しげな店だ!ということで入ってみた。太陽の塔のオブジェや古いカメラのコレクション ELF タイレルの6輪レーシングカーのラジコンまであり。店内もそこはかと上質なアートなものが飾ってある。アート系店主か!なるほど!と 心きらきら 店内を細やかに目を配る廃材で小屋を作る!なんて本があり、面白そうな本もおいてあるなあ とぱらっと めくると サイン付き。。。なんと。。と もしかして このお店店主が内装とかも作ったのか?とおもって見渡すものの、手作り感はない。なんだろう?と思いつつ メニューを見る。献立も古い喫茶の定番メニューで アート系特有のひねりがなにもない。???と おもいつつも 店主に話しかけたアート系なんですか?と尋ねると「ああ、そういう風に魅せるのが得意なんです^^」と ななめった答えが返ってくる。でも お店に飾られたそれらは??と再度尋ねると知人らが寄贈してくれた物とのことで、アート系の人たちに囲まれた環境にいるただのバイク乗りさんだとのことで いろいろお話していろいろ鳩がまめでっぽうくらったような驚きで 楽しく会話させてもらった。旅 ドライブは 今度から事前に調べて ニッチなお店巡ってみようと思った。