CAFE DE MOCHAI

チャイ専門カフェ 創業24年目

ヒマラヤと自然全般とアートと音楽が好き
週末土日の夜のみで完全予約制

チャイしかありません。

お料理はリピーター様に限り19時限定ご用意。


エラー防止のためご予約はツイッターのDMのみで統一しております。

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和食だ イタリアンだ フレンチだ エスニックだ スパイスだといっても全部同じ料理だというのにいろいろ作れるの?ってなったり絵だ音楽だ造形だ と全部形に具現化するだけのことをマルチな才能とか言ったり全部 考える。という一つの頭の仕事であるだけで多岐にわたる才能の多岐なんて言葉は蛇足でしかないあれこれ表現手法の違うことを楽しんでいる人なら誰でも自覚しているそのなかでも得意不得意なものレオナルドダヴィンチが手を描くのが苦手で意識するあまりバランス的に手が大きくなりデッサンが狂うみたいにだれしも その頭で考えても捉えきれない部分はなんだかんだあり最終的には それを個性とうそぶいて 他の技術でカバーしてやりにげる。で気づくのが 人がなにをどう考え作ろうが 自然にはかなわない。という到達点そこにいきついて 一番先に落胆するのは 音楽やアートで最後に料理となる。自然にあるものに味をつけるって自然の生き物としてありえない所業がはたして本当に必要な事なのか?という蛇足かもしれない葛藤ダヴィンチも多くの食に関する文献やレシピが残されてるが時代を考証しても かなりぼんくらな思考がその文献から見受けられる死んで時間がたつほどに神聖化される ましてやその肉筆の絵や彫刻だったり楽曲が伝え続けられてしまうと、無限に評価の下がらない巨匠となるばかりアルタイルの壁画やあちこちの壁画の落書きにも 作者の名前が記されてればそいつらが ピカソやラファエロをも超えるアーティストとして世界史に残ったもの駄作だろうと作品と名が後世に残れば巨匠への道作品にタグは大事ね

SP献立の頻度

以前は 半年に1度あるかどうかの スペシャル献立デイここ数年は 月1に近い頻度。。年末年始あたりだと 月2,3も珍しくなくなってきて、それに伴い 手のこんだ料理をする回数も増え手の込んだことをすれば おのずと 絶対このほうが美味しい!となり通常時にやってた調理方法の見直しとなり、一皿千円ちょいの通常メニューの調理手数までがどんどん混みいり、準備時間もじりじり長くなりつつ毎回労力と技術の安売りと言われる問題も慢性化してきた。なんども状況をかえりみて 自分の心の整理をすると美味しいものを作りたい ◯考えるのが好き手間がかかる事は嫌ではない ◯思いつくと楽しい利益がちいさい問題   △あまり考えたくない時間が取られるのは嫌 ◯義務的強制感は嫌人に喜んでもらいたい △相手によるかなあざっくり こんなとこで、なんどもなんどもたちもどるのが特別献立なんでやってるの??というところで ここの答えは大きな理由は一つある。特別メニュー時に予算があるので 通常さわれない高級食材を扱うことが出来る。それの味を知ることと 調理実践出来る。知識として新しい事に出会える可能性と技術向上の利点加えて自分だけじゃなく 食べた人にも味の経験値を共有出来。そんなところです基本6人くらい集まって開催。人数と値段はそのときの食の方向性によって要相談  営業日以外は+割増

はいりにくいお店

黒曜石探しに道東に向かい その帰りに小さな町でランチ出来る店を探すかんばんが 入口に小さなサイン電灯があるのみで 入口はドアだけお店とわかる雰囲気もない。うちと同じ ちょっと気難しげな店だ!ということで入ってみた。太陽の塔のオブジェや古いカメラのコレクション ELF タイレルの6輪レーシングカーのラジコンまであり。店内もそこはかと上質なアートなものが飾ってある。アート系店主か!なるほど!と 心きらきら 店内を細やかに目を配る廃材で小屋を作る!なんて本があり、面白そうな本もおいてあるなあ とぱらっと めくると サイン付き。。。なんと。。と もしかして このお店店主が内装とかも作ったのか?とおもって見渡すものの、手作り感はない。なんだろう?と思いつつ メニューを見る。献立も古い喫茶の定番メニューで アート系特有のひねりがなにもない。???と おもいつつも 店主に話しかけたアート系なんですか?と尋ねると「ああ、そういう風に魅せるのが得意なんです^^」と ななめった答えが返ってくる。でも お店に飾られたそれらは??と再度尋ねると知人らが寄贈してくれた物とのことで、アート系の人たちに囲まれた環境にいるただのバイク乗りさんだとのことで いろいろお話していろいろ鳩がまめでっぽうくらったような驚きで 楽しく会話させてもらった。旅 ドライブは 今度から事前に調べて ニッチなお店巡ってみようと思った。

まる10年

2013年 「来年春から モーチャイやりませんか?」と始まり2014年4月にモーチャイを引き継いで セルフDIYで内装工事し5月から 営業スタートした。そして今年 まる10年の歳月がもともと 音楽仕事でのイベントや雑誌用に オリジナルカクテルだ料理イベントだ、といろいろやってきていたが、 みんな 「美味しいです」しか言われないのでだんだん懐疑的になっていき、音楽客じゃない人に飲み食いしてもらって どうか?と確認もしたかったので 飲食店に手をそめた。当初 ひっそりこっそりやってたので もともとの持ち客もほとんど知られず来なかったので 純然たるカフェの常連を作る!ということにターゲットをしぼって地道に お客さんをつけていったが2年もしたら音楽客のほうにも情報が漏れ出し、あっというまに客層の8割道外の客みたいな状態にでもなんにせよ この仕事のお陰で 普通に生活してるよりはるかに濃厚で膨大な料理実験を繰り返せて研究はかなり急激に進歩できた。この機会に誘い込んでくれたクリシュナさんに感謝だ。という区切りもあり 5月からはリピーターさんにしか料理予約うけつけしない方針にあきらかに新規の客はそりゃ減る事は想定しているけども知った顔を思い浮かべて たべさせる相手を思って料理しないとなんか突き詰めた料理ができないと ここ数年ずっと思っていてまず人と顔を知る、そして 声や喜んでくれる想像を明確に思い浮かべ献立どうしよう?あのひとになに まだたべさせてなかっただろう?とか考えながら料理する。ってのが 作りてと食べる人の正しいマッチングだと思うので、たった数席のお店だし そうやってもたいして営業成績に影響ないと判断なので 初めての方にも かたくなにチャイのお店なので チャイの予約はこれからも受付しております。

おいしい強迫観念

あるいみ 美味しいと言われると このおいしいを持続しなきゃいけないと思うようになり、 料理にびっくりしたと言われるとびっくりさせ続けないといけないという強迫観念にとらわれ常にだれも思いつかないことを!と考え えんえんと悩むことになる。その苦悶のアイデア出しを楽しんでるうちに、斬新であることが最低条件にどんどんなって自分を追い詰めていくことになる。人生アウトプットだけで突っ走れるものではない自分自身も誰かから気づかされ教えられて その驚きを純粋に喜びとして感じられないと、自分のなにかがパンクする。アートなんかも つきつめ 自分が本当になにw描きたい作りたいか?とつきつめていくと、 どんどんピンポイントで自分が好きってなんだ?になり、好きが=素晴らしいとは言えないずれを感じてくる。自分が良い!と思うものを だれが卑下しようと貫いて好きという事が大事という話も理解はできるが、だれもすばらしいって思えないものはそれは普遍的ななにかではなく じつに個人的な趣味ということになる。物つくりは 土台には普遍的なものを生み出したい欲求がある。認められるどうのこうの問題じゃなく 必ず後世にまで残るものには普遍的なオーラがある。それをつかむのも真理の一つだからだだからくだらない浅い美人画や花のわかりやすい綺麗が題材に選ばれる。そうふまえると 料理がおいしいは 美人画のたぐいで変わった料理なのにおいしいは 美人がへんなポーズや衣装を着てるだけみたいなものではないか?という見方もできるわけで美味しい事が じつは単純な逃げであるという見方もできる。要はどうしたいか?によるとおもうのだけどお店的に無限に客がくる行列ができる店にしたいわけではない。それは自分が作る料理を数値化して誰かが同じように作れるわけがないとおもっているので、店の発展は不可能だとおもっているから。それならば 不特定多数に味合わせる目的意義はないので自由に作って それを食べたい人だけ集まって来れば良いので消極的な営業展開になっていくがこの少ない一定数の常連だけだからこその アイデアの使い捨てとおいこみが きつくなるわけでもある。