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和食だ イタリアンだ フレンチだ エスニックだ スパイスだ
といっても全部同じ料理だというのに
いろいろ作れるの?ってなったり
絵だ音楽だ造形だ と全部形に具現化するだけのことを
マルチな才能とか言ったり
全部 考える。という一つの頭の仕事であるだけで
多岐にわたる才能の多岐なんて言葉は蛇足でしかない
あれこれ表現手法の違うことを楽しんでいる人なら誰でも自覚している
そのなかでも得意不得意なもの
レオナルドダヴィンチが手を描くのが苦手で意識するあまりバランス的に
手が大きくなりデッサンが狂うみたいに
だれしも その頭で考えても捉えきれない部分はなんだかんだあり
最終的には それを個性とうそぶいて 他の技術でカバーしてやりにげる。
で気づくのが 人がなにをどう考え作ろうが 自然にはかなわない。という到達点
そこにいきついて 一番先に落胆するのは 音楽やアートで
最後に料理となる。
自然にあるものに味をつけるって自然の生き物としてありえない所業が
はたして本当に必要な事なのか?という蛇足かもしれない葛藤
ダヴィンチも多くの食に関する文献やレシピが残されてるが
時代を考証しても かなりぼんくらな思考がその文献から見受けられる
死んで時間がたつほどに神聖化される ましてやその肉筆の絵や彫刻だったり
楽曲が伝え続けられてしまうと、無限に評価の下がらない巨匠となるばかり
アルタイルの壁画やあちこちの壁画の落書きにも 作者の名前が記されてれば
そいつらが ピカソやラファエロをも超えるアーティストとして世界史に残ったもの
駄作だろうと作品と名が後世に残れば巨匠への道
作品にタグは大事ね
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