アートの言語化

世の中 絵を描く人 音楽作る人 料理作る人はいっぱいいる。

だれしも最初はやってみたい つくってみた できるようになりたいが初期衝動で

純然と創作への興味だけでよかったのだけど、この方向に向かう人の特性として

もともと会話が苦手 言葉を上手く使えていない。って場合が多く見受けられる。

性格として他人と話す事が嫌いって人もいる

だろうけども そんな創作力を付けて行くに従い 他者から認められるようになると

おのずと言語力を取り戻さなきゃいけない局面にたってくる

絵具と同じで 白黒しかつかってないと どう色を組み合わせれば希望の色が出るかわからない

言葉のひとつひとつが絶妙な色合いをもっていて その種類もわからなければ

微妙な創作物の説明なんてできるわけがないのだ、でも脳内には伝えたい説明があふれてて

言葉に発する事ができないから 岡本太郎のように「ば ば ばくはつだ!」しか言えなくなる

愛敬があれば それでも笑って許容される場はあるかもしれないが


自己完結で良いとおもっていないなら 自分の作る物を言語化して伝える事も大事だと思うのだ。

絵や音や味は感じるものだから ただ感じてくれればいいんだ!わかるやつにだけわかればいい!

というお約束なふてくされアーティスト発言もよくきくが


色一つ 微妙な配合調色にこだわって描いても、素人には細かい事はわからない

「これ じつは赤にちょっと茶を混ぜてるんですよ、だから落ち着きが」と

言葉の説明を与えてあげる事によって 「なるほど」って理解が瞬時に深まる


つまり 一般人の感覚にまかせて ただぶん投げるのではなく

弱視 難聴 難味覚の人だと思って解説をつけてキャプションつけて やっと

理解の入り口に立たせられて 作品を見てもらえる始まりになるのだ

相手の感性感覚好き嫌いに任せるのは そこからでいい。まず見てもらう事が大事だから

発表してるんでしょ?というところだ


だから 言葉も絵具や音符や調味料の一つだとおもって扱うべきもの


モーチャイの宣伝は もはや週末1晩8席程度埋まれば十分のお店なので

満席が目立つようになってきてから お店的な解説をいれる必要性がなくなってきて

来店希望者が極端に増えないように いきなりバズったりしないように お店の情報が拡散しまくらないように

ちびちびと書いては消して お店のアナウンスはぽそっと残席情報だけだすという



20席くらいあって2店舗3店舗って増やしていく気があるなら

みんなきてーおいしいチャイのお店だよ~とはちきれんばかりのポップで陽の気をかますのだが

とりあえず今のとこめんどくさそうな店主のお店ってテーマ?で運営


CAFE DE MOCHAI

チャイ専門カフェ 創業24年目

ヒマラヤと自然全般とアートと音楽が好きで
週末土日の夜のみ営業

チャイ専門店ですが 
19時から限定で8食だけお料理を完全ご予約制で用意。
あくまでもシェフが作りたいものを作る主旨に賛同できて
好き嫌いの無い人のみに限らせてもらっています。



エラー防止のためご予約はツイッターのDMのみで統一しております。