こたえ
質問のこたえは正解だけが正解じゃない
それぞれの問いかけには それぞれの人によっての答えがある
求められるのは 人によっての最適解
万人が腑に落ちるところの ど正解を求めるのは社会的答えを
必要としてるだけのことで
それこそ自分個人的アートのたぐいに 人に認められる必要性や
欲求がないなら 無意味なもの
先日 おいしいという最適解答を追求する飲食店の考え方が
当たり前すぎて 凝り固まったものではないか?と
ふと考え込んでしまった。
音楽や絵画表現などより圧倒的に個人差の判断が要らない
料理というジャンル おいしいかおいしくないか
解かれば ただその感覚でおいしいだけを選んでいけばいいだけ
もちろんそこに 下ごしらえの知識や食材についての経験も必要で
くわえて火加減や包丁さばきの技術もいるが
おいしいを見据えてしまえば道はいたってシンプル
料理は1+1を2以上にすれば概ね成功
アートは1+1でマイナスから無限大までねらって生み出す遊びで
評価のあるなしさえも超えたところにある
反対に絵画など色作りひとつ自分が
思い描く最高のブルーグレーの調色をほぼ万人に良い色だと
認識させるのは道が無い
人に認められたいや 社会的成功のたぐいを目指すなら
どうしたって迎合意識を捨てきらない土台が必要
それは 皆がおいしいとおもうところをなぞるということ
料理においてのみんながおいしいっていうものは
結局はいたって大衆的で本当の意味でのスペシャルではない
とふつふつもごもご思索中
チャイを飲んだことのない人でも美味しいと思わせるチャイは
世間一般のチャイでは確実にない。
もっと世間一般のは人によってチャイ好きもそうじゃない人でも
こりゃまずいってわかるものだらけ
ちゃんとチャイ好きにしかわからない絶対領域なおいしさ
通にしかわからないものってなると。。。。
飲む人に味覚テストが必要になる
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