本当に欲するものはなにか?
中学生の頃 親の小言に辟易して自宅にいたくなくて日中はほとんど十勝川の河原ですごした。
学校の勉強や油絵の道具や画材と釣具をもって河原で陽が沈むまですごした。
釣り糸を垂らしながら 課題や予習、絵を描いたりして過ごしてた
そして釣りをしてるとクラスで漏らすと 数人釣り好きカミングアウトで
一緒に川まで行って おのおのの釣りポイントに分かれて
また日が沈む頃集まって一緒に帰るなんていう距離感のある仲良い友人たちができた。
である日 釣りは好きじゃないけど川でよくトランペット練習してるというやつが
私についてきた。 釣り糸を垂らす横でトランペットを吹きやがって
魚が逃げるだろ!と言うと
魚 そんなに釣れるのか??と返され
そういえば 魚が釣れる事に固執していないと自覚する。
そうただこの場所にいる名分のために釣り糸を垂らしてるのだ
そっか自分は魚が釣りたいわけじゃないんだ。。。と自覚して
そこから すぐさま釣り針に餌をつけないでホオリ投げた。
どうせ横でトランペット吹かれるし で
これまでも 最初の一発目だけ餌をつけてあとは数時間放置
帰り間際 糸をひきあげて餌がなければ 取られたか!と納得して終了だったのだが
釣る目的がなきゃ餌をつけないでもよいってなって そういう釣りを始めた。
これが 意外とわくわくした。 餌つけていないのに釣れた想像だけでわくわくできるし
つれなくても あたりまえで心がよりいっそう軽くなった。
でも この想像遊びもすぐ飽きたので 次に 針もつけずに錘だけ糸にむすんで投げ入れた。
これも2回目くらいまでは どきどきできた。
そして これにも飽きると 糸もつけず ただ川べりに釣り竿だけ立てた。
この領域になって 生きるとは?から始まり いろいろ哲学的な事考え始め
釣り友達からは 「なにやってるの??」とすごく 不思議がられたけど
要約し説明をした。 理解はされなかった
そんな14歳でした
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