おいしい強迫観念

あるいみ 美味しいと言われると このおいしいを持続しなきゃいけないと

思うようになり、 料理にびっくりしたと言われると

びっくりさせ続けないといけないという強迫観念にとらわれ

常にだれも思いつかないことを!と考え えんえんと悩むことになる。

その苦悶のアイデア出しを楽しんでるうちに、斬新であることが

最低条件にどんどんなって自分を追い詰めていくことになる。


人生アウトプットだけで突っ走れるものではない

自分自身も誰かから気づかされ教えられて その驚きを純粋に

喜びとして感じられないと、自分のなにかがパンクする。


アートなんかも つきつめ 自分が本当になにw描きたい作りたいか?と

つきつめていくと、 どんどんピンポイントで自分が好きってなんだ?に

なり、好きが=素晴らしいとは言えないずれを感じてくる。

自分が良い!と思うものを だれが卑下しようと貫いて好きという事が

大事という話も理解はできるが、だれもすばらしいって思えないものは

それは普遍的ななにかではなく じつに個人的な趣味ということになる。

物つくりは 土台には普遍的なものを生み出したい欲求がある。

認められるどうのこうの問題じゃなく 必ず後世にまで残るものには

普遍的なオーラがある。それをつかむのも真理の一つだからだ


だからくだらない浅い美人画や花のわかりやすい綺麗が題材に選ばれる。


そうふまえると 料理がおいしいは 美人画のたぐいで

変わった料理なのにおいしいは 美人がへんなポーズや衣装を着てるだけ

みたいなものではないか?という見方もできるわけで

美味しい事が じつは単純な逃げであるという見方もできる。


要はどうしたいか?によるとおもうのだけど

お店的に無限に客がくる行列ができる店にしたいわけではない。

それは自分が作る料理を数値化して誰かが同じように作れるわけがないと

おもっているので、店の発展は不可能だとおもっているから。

それならば 不特定多数に味合わせる目的意義はないので

自由に作って それを食べたい人だけ集まって来れば良いので

消極的な営業展開になっていくが
この少ない一定数の常連だけだからこその アイデアの使い捨てと
おいこみが きつくなるわけでもある。



CAFE DE MOCHAI

チャイ専門カフェ 創業24年目

ヒマラヤと自然全般とアートと音楽が好き
週末土日の夜のみで完全予約制

チャイしかありません。

お料理はリピーター様に限り19時限定ご用意。


エラー防止のためご予約はツイッターのDMのみで統一しております。