誕生日の考え方
日本では基本 誕生日の人を祝うスタイルが一般的だけど
自分は十代の頃から その考え方に異議を感じていて
自分の誕生日を祝うべき相手は 産みの母であるべきだ!と
ずっと言ってた。 自分が世に存在する功労者をねぎらうのが筋というもので
その母がいない人の誕生日は 感謝する気持ちがあるなら母を思いつつ
他に介入させず ひとり静かに過ごすべきなんだ。と
30代のとき その考えに近しい有名人がいる事をしった
永六輔である。
そんな考えで初めてネパールで知人の誕生会に誘われていくと
その誕生日の人が まずケーキを切り分けて 父母に食べさせてお礼を言う
というスタイルで、 なんてネパール人は本質を大事にしてるんだ!!::と
誕生会というもので はじめて眉をしかめないで 和やかに過ごせた。
そこから十数年そんな思いで 一般的日本の誕生日の祝い方に嫌悪し続けたのだけど
昔ならもう初老の領域に足を踏み込んで、同級生や近い年齢の友人知人が病気になったり
亡くなったりしていく中で、自分的にも誕生日の意味あいが変わって来た
元気に存在できてる今を祝う。。。まだ生きていてくれる事に順繰りに皆を祝いあうという
考え方。 これなら同意できる。と 近年思えるようになったのだけども
自分のそんな日にカフェ営業があると、いつもとてつもなく忙しくなりすぎて
その1日の労働で数か月の寿命は燃え尽きてる感もあり
疑問だ。
本当に チャイだけしか出さない日にして しみじみゆったり営業するくらいじゃないと
この日の意義をもって完遂できる気がしないのだが
今年は2デイズで自分の誕生日を祝おうという人達をもてなす事に。。
しかもスペシャルメニューで 地獄の作業量だ。。。
0コメント